2012年3月12日月曜日

2012.3.11 アチェに来ました。

今日は、3.11。東日本大震災から1年。ぼくは今、アチェいます。
スマトラ島の最北部です。スマトラ沖地震大地震で多くの犠牲者が出た地です。

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この街はインドネシアの旅の中でも、ほんと訪れてみたかった街。

Because
1.2004年にスマトラ沖地震で甚大な被害を受けた街
2.イスラム教が始めに伝来した街でイスラム色が最も強い
3.津波までは独立運動が盛んで、反骨精神たっぷりでヤバ危険だった街


参考:
アチェ - Wikipedia
3.11にはここにいようと思ってました。
どこいてもこんな感想なんすけど、ここも

百聞は一見に如かず。来てみてよかった!
肌感覚でアチェの歴史、津波、イスラムを感じれました。

こわ〜いイメージしかなかったので、

おーげさにいうと、命を失う覚悟できました!

でも、、
深夜2時に屋台で兄ちゃんたちとくっちゃべってるくらいに安全でした。
しめの焼き鳥(笑)深夜2時ww
■津波で思ったこと。

すんごい、不謹慎ですがどうしても率直に思ったこと。

生き残った人にとっては、
この津波でアチェは平和になったし前よりもハッピーになれたんじゃないかな

そういう意味では、多くの人が犠牲になったけど、その犠牲によって得たものも多くある。
中世ヨーロッパもペストが流行して、人口構成のひずみによって変革の引き金となった。

歴史は偶然の積み重ねですわ。

ってのもさ、ここはちょっと前までちょ〜〜〜危険ゾーンだったんだよね。

<1999年2月3日の共同通信より>
インドネシアからの独立派を抱えるスマトラ島北端のアチェ特別区の警察当局者によると、同特別区東アチェ県の農村で3日、住民約3000人が「アチェ独立」を叫んで行進し、治安部隊と衝突。治安部隊の発砲で2人が死亡、数十人が負傷した。

えっ、、、ムリっす(;´Д`)

東ティモールみたいにネシアから独立してもおかしくない勢いだった。

■津波前
<アチェの前提>
・イスラム教伝来の地アチェ、「我こそ真のイスラム」という自負がある
・それに、オランダ植民地時代にココは徹底して抗戦したという自負もある
・資源が豊富。でも、ネシア政府がおいしいところは全部もっててる。

おれらこそ、真のイスラム国家。
おれらはずっと戦ってきた!!
イスラムっつても、ぬるぬるのインドネシアはおれらに自由を認めさせない!
こうなったら、独立だぁーーーー!!

みたいな。。。

そんな勢いで活気づいてた(ネシア政府もアジア通貨危機から立ち直れず、混乱状態だったしね)、アチェ。

そんな2004年に、まさかのスマトラ沖地震大地震。
多くの犠牲者が出ました。

その後も、抗戦はあったみたいだけど、
やっぱ内戦どころじゃなかったんだよね。

2005年、インドネシア政府と和平協定

■津波後
今のアチェ。

津波観光でにぎわってる。エアーアジアもマレーシアから直行便が通って観光も上向きのようだ。

んで、津波博物館に今日はいってきました。

日本だったら不謹慎やろなTシャツ。しかも子供用w













この津波博物館がちょーーーーーきれい!!

国立美術館!?みたいな。インドネシアでこのクオリティーは半端ないぞ。



はい、チーズって光景です。日本でやったら不謹慎!?



若者が多かった。カップル。

それと、津波で陸地に乗り上げた船の場所も観光地化。そこにもいきました。
丘の上のフネ
グロ注意。
死体の写真が生々しく、展示されてる。


 ■東日本大震災に関連して
もうこれは起こってしまったことで、もう過去を悲嘆にくれて悲しむだけじゃ意味がないように思いました。

アチェは、内戦が続いてこわーい街でした。
でも、津波から8年近く、今は日本人の観光客が来れるような街です。

アチェの海岸。しあわせ〜なかんじでした。

今生きてるぼくは、いかにしてこの教訓を活かして、前向きに生きることが大事だと思いました。

人間いつ死ぬかわからない、死ぬ気で人生を楽しんで、どこかで誰かのためになるように生きること

これが東日本大震災でぼくが感じた大きな実感。

改めてこの気持ちを確認して、前向きに生きるぜ!

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