2012年10月14日日曜日

徒然コラム。

インドネシアで生活&働く上で、別に英語だけあればいいんじゃないの?議論はたまに聞きますが、最近感じることがあります。

それはインドネシア語or現地語は、できなくていいけど、やろうとする努力はしたほうがいいんじゃね!?ということです。

単純に、うれしいでしょ、がんばって、その国の文化を学ぼうとしてる人みると、と思うんです。

がんばって、「オイシイデス」言ってる外国人は「oh delicious」よりも嬉しいと思うんです。

前働いていた時の話です。

アメーリカから、The エリートというような40代くらいのお偉いさん、(おそらく年収5000万以上はゆうにいってる)が来ました。

彼は、1年以上駐在するにもかかわらず、日本食も食べず、日本語を学ぶ姿勢がありませんでした。

「しょせん、日本をキャリアの1つ、利益すいとるための国」としか思ってないんだなというのが率直なきもちでした。

形態は違えど、植民地に対する発想とどこか似てるような気がしました。プランテーションで強制労働をさせて、利益は本国にというような。

さて、今はかつて、「栄光のマジャパヒト王国」とすら呼ばれていた時代があったものの、植民地支配が300年もなされていた国にいます。


そして、この国がこの国である1つの共通点は、「植民地に対して対抗した」という1点ともいえます。

やはり、この独自の文化、歴史があった国が、支配されるというのは日本人がわかりづらい、どうしても悔しい気持ちなのかと。

最近、現地人に間違えられることが増え、気持ちが移っちゃってます。

ましてや、文化の発信源だった大国が、欧米列強にやられ、挙句の果てには、文字から政治、都市構造まで多くを伝えた国に、やられるなんて相当な悔しさだったのだと思います。

一方で、ついこの間まではAs No1とかいわれてた国が、うんちゃら主張されるのもどうなのよ、があるのでしょう。

さてさて、

「キャリアとして海外に転職する」
「成功実績を出すために海外駐在したい」
「色んな国で働きたい、1つの国には5年以上は居たくない」

そんな話をよく聞きます。

アリだと思います。

お金と同様に、キャリアはあれば幸せとは限らないけど、キャリアはあるに越したことはないですし。

このポテンシャルがなければ、インドネシアは選んでないというのがぼくの現実的な意思決定だろうとおもいます。

でも、どんな理由であれ、故郷以外で働く場合、現地の言葉で「アリガトウ」というように努力する姿勢って大事なんじゃね!?と思うんです。

マッキンレポで、インドネシアは、2030年GDPで世界第7位と予測されました。
他のレポートでは、2050年には、日本を超えてるという予測もあります。

かつて支配されていたこの国が、強者になったとき、数年でも、傀儡政権をたてていた国に対して(いい面もわるい面もあるけど)、どういう態度をとるんだろうな。

植民地被害者としての側面もあるし、独立勢力に対しては加害者としても描くことができる国です。

そんなことを妄想して、ジャカルタの渋滞のまっただ中にいることに気付いた時、

さっきいたトイレ掃除のお兄さんでも、
アパートの掃除のおばちゃんであっても、
ゴルフ場の従業員さんであっても、

アリガトウと一言添えることが、国家レベル、政治レベルを超える、将来の所属国に対しての無形資産につながるのかもしれません。

日本語学科の友達は、ばあちゃんに、「日本の言葉なんて勉強するんじゃない」と言われたそうです。それも事実。300年に終止符を打つきっかけになったのも事実。

過去は過去だし知らね〜し、かんけーねぇー、

なんだけど、

2050年、「日本語勉強してるの!?いいね〜」とかいう、
ばあちゃんが増える、イマになればいいかと。

・・・

とかいう、うさんくさい思い。

そんな思いをさせてくれる、ここの人々のニコニコには感謝です。

ちなみに、その後、そのお偉い外人さんと飲み会で話す機会がありました

「ジャパニーズ料理、何が好きなんですか?」とベタな質問をしたところ、
「スシ・・・オーイシ!」ニコッ(^_-)

まさかの日本語の返答。

メチャメチャ下手くそな日本語でしたが、 
メチャメチャうれしかったのを思い出します。

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